鬼滅の刃と進撃の巨人。なんであんなに世間を賑わしてるのかわたしなりに考察してみた!
この記事では、鬼滅の刃と進撃の巨人の決定的な違いについてかんたんに紹介しています。
鬼滅の刃と進撃の巨人を知らない人でも興味持って読んでもらえるような内容になっています。
実は、鬼滅の刃と進撃の巨人には共通してる部分があるんです。
たとえば、鬼滅の刃の場合は敵が鬼で、進撃の巨人の場合は敵は巨人です。
そして、鬼と巨人、どちらも人間を食べます。
だけど、鬼と巨人、どちらも元々は人間なのです。
そんな感じで共通した部分はあるのですが、鬼滅の刃と進撃の巨人で決定的に違うのは思想(どう考えるか)だと思います。
というわけで、この記事を読んで参考にしてくれたら嬉しく思います。
鬼滅の刃について考察
鬼滅の刃は、家族を鬼に食われるという衝撃的なシーンから始まります。
この時点で辛すぎて観るのを断念しそうですけど
そして、妹は一命を取り留めるも鬼になってしまいます。
で、妹を鬼から元の人間に戻すべく炭治郎(主人公:たんじろう)と禰豆子(妹:ねずこ)の旅が始まるのです。
まぁ、この鬼滅の刃はどういう話なのか、というのをかんたんに言うとまさしく鬼退治ですね。
次から次へと鬼を倒して行って最後は鬼のボスを退治して終わりという感じです。
ざっくり言うとね
鬼は人を食べる悪いヤツなので、憎むべき相手、殺すべき敵となります。
すんごく分かりやすいセオリー(理論)ですよね。
人間に悪さをするんだから、ほっといてたらもっと被害者が増えます。
そして、鬼に殺された人間は鬼になってしまうケースもあるので敵(鬼)が増えてしまいます。
なので、人を救うため、また人々が平和に暮らせるようになるために主人公はがんばって鬼退治するのです。
その鬼退治(鬼との戦い)する姿は見ていて格好良いし、必死さも伝わるのでハラハラどきどきします。
だけど、鬼滅の刃の最大の魅力は鬼と戦ったあとの「哀愁」なんだとわたしは思います。
というのも、鬼は憎むべき相手、殺すべき敵なのに、なぜか鬼に同情してしまうのです。
なぜなら、鬼たちが死ぬ間際に彼らがまだ人間だった頃の回想がよみがえるのですが、それがあまりにも不憫なのです。
「お前はダメな人間」だと罵られたり、実の親から愛されなかったりとさまざまな辛い仕打ちを受けていたことを知って心が痛むのです。
そんなシーンを見せられたら涙を流さずにはいられません。
だから、彼らの回想シーンを見るたびに思うわけです。
「もし、彼らが人間だったときに幸せな人生を歩んでいたら、鬼にはなってなかったのかもしれない」
「彼らを鬼にさせたのは我々、人間のせいではないか」と。
そう思うと本当の敵は誰だという話になりますよね。
鬼滅の刃の思想について
鬼滅の刃を観ていると、たびたび鬼が人間を勧誘するシーンが出てきます。
鬼は怪我をしてもすぐに体を再生することができるし、不老不死なので人間と違い寿命はありません。
なので、気に入った人間を見つけたら「お前も鬼になれよ!もっと強くなれるし永遠の命を手に入れられるぞ」とリクルートするのです。
だけど、主人公も含め鬼退治をする人間たちは断固として彼らの勧誘を拒否するのです。
それは鬼になること=悪という絶対的な思想があるからです。
もちろん例外はありますが、やむを得ない事情がない限りはぜったい鬼になるという選択はしないのです。
ここの部分、「正義」と「悪」がはっきりしてるので分かりやすいです。
人間のままで鬼と戦う=正義、鬼=悪という感じですね。
鬼滅の刃は「善」と「悪」がしっかり分かれてるので親が子どもに教育するアニメとしてはうってつけでしょう。
それだけでなく、鬼滅の刃はむずかしい漢字が多く出てくるので勉強にもなりますよね。
進撃の巨人について考察
進撃の巨人は、鬼滅の刃と同様、母親が巨人に食われるという衝撃的なシーンから始まります。
この時点で辛すぎて観るのを断念しそうですけど
この母親の死をきっかけに主人公エレンは「この世から巨人を一匹残らず駆逐してやる」と胸に誓うのです。
進撃の巨人もどんな話なのかというと、まぁ、巨人退治です。
巨人が次から次へと現れ人間を無差別に食べてくるんで、戦うわけです。
ただ、人間たちはこの巨人について何も分からないわけで、この未知なる生物が一体なんなのかを解明するためにも戦ってるわけです。
かんたんに言うと「巨人を倒して、はい終わり」ということではないのです。
とにかく、この進撃の巨人はただの巨人退治ではなく戦えば戦うほど謎が解明されてくるため奥が深いんです。
わたしが思うに進撃の巨人は日本国民全員がというより、世界中の人類全員が観るべきアニメだとわたしは思っています。
それくらい、やばいアニメです
このアニメを観ると何が「善」で何が「悪」なのかが分からなくなるのです。
鬼滅の刃とは違い、そこがはっきりしてないのであとは読者の判断に委ねられます。
そして、このアニメを観ているとこの世は残酷だから正しいことがすべてじゃないよねと思わされるのです。
自分の仲間が敵だった場合、かんたんに仲間を嫌いになれますか?
あれは憎むべき敵だと教えられても、実際に敵が良い人だったら敵を憎めますか?
巨人が元々は人間だった場合、巨人=殺すべき敵になっても人間=殺すべき敵とできますか?
巨人(元々人間)を殺すことは正義ですか?悪ですか?
人類平和のために巨人を殺しますか?倫理のために巨人化してしまう人を救いますか?
進撃の巨人の思想について
進撃の巨人の場合、特殊な注射液を体に入れられると巨人化するようです。
巨人は怪我をしてもすぐに体を再生することができるし、ほにゃららすれば素晴らしいスキルを手に入れることもできます。
進撃の巨人では、瀕死の人間を生き返らせるためにこの注射液を使って巨人化できる人間へとよみがえらせるという選択をしています。
なので、「巨人」はもやは「敵」ではなく「利用できる者」「救いたい者(必要な人)」となるのです。
人をよみがえらせる、巨人化できる人間を増やすというやり方は倫理の観点から言って正しい方法かは分かりません。
ただ、この先の未来(世界を救う)のことを考えるとその方が効率がいいし、解決策が増えます。
だから、巨人化できる人間を作るのにためらわなかったのでしょう。
そこが鬼滅の刃との大きな違いです
ただ、巨人と人間が仲良しこよしで生きていけるのでしょうか。
それができたらいいのですが、巨人という絶対的な強さを手に入れたまともな人間が人類に危害を与えない保証はどこにもないわけです。
なので、巨人(元々人間)を皆殺しにした方がいいのかなぁと残酷な発想も思いついてしまうんです。
まぁ、巨人と人間の共存についての例を上げましたが、ほかにもわたしたちには「どの選択がベストなのか」というのを考えなければいけない時がきます。
そのときには、何を選択すべきなのか?
あなたは、きっと「正しいことがすべてじゃない」ということをいつか思い知らされることでしょう。