まふまふ「朧月」の歌詞を私なりに解釈してみた結果、衝撃的な事実が分かった!それは・・・
こちらは、まふまふの朧月という歌で古語が織り成す美しい旋律となっております。
最初にこの歌詞を見た時、あまりの美しさと奥ゆかしさに度肝を抜き、まふまふは文学者なの?はたまた天才なの?と思いました。
私なりに「朧月」の奥深い歌詞について解釈したいと思います。
朧月とは・・・
霧や靄(もや)などに包まれて、柔らかくほのかにかすんで見える春の夜の月のことです。
朧月の時代背景
おそらく江戸時代
他のウェブサイトで「大正ロマン」と記載がありましたが、最初朧月の歌詞の情景が平安時代の恋愛模様にも似ていたため平安時代とも迷いました。
しかし、平安時代と仮定すると矛盾する点が何個か見つかり平安時代と設定するには無理が生じてきたため結局江戸時代だろうという結論に至りました。
平安時代だと矛盾が生じる理由
華やかな景観に 世人は連なる
平安時代の場合、お屋敷以外の外の暮らしは貧しかったそうです。
平安時代にはそぐわない表現だと思いました。
手毬
手毬は江戸時代の中頃から流行りだしたそうです。
そもそも、平安時代には無かったんですね・・・
歌詞の解釈
1番Aメロ
- 馴れ初めを 知らぬまま
- 薄紅点(さ)した 宵時雨
- 朔日(ついたち)洗われて
- 真白になれたら
こちらは、まふまふさん自身がyoutubeで解説されてましたね
衝撃的な話をします。私は、歌詞に出てくる女性を花魁だと思っています。それでは解説をしていきます。
宵時雨の中、薄紅を指して(化粧をして)貴方を待ちます。
まふまふさんは、宵時雨を日が沈み赤くなった状態と薄紅で赤くなるのを掛けていると言ってました
しかし、実際の宵は日が暮れてまもない時間なので空は真っ暗です。
時雨は降ったり病んだりする雨のことなので私はこれを涙としています。
薄紅を点して彼を心待ちにしてますが宵時雨のように心の中は段々と真っ暗になり時々涙しているという情景が浮かびます。
朔日は月の第一日。その日に心機一転出来たら・・・。心だけでなく自分自身、生まれ変わりたいとも思っているのかもしれません。若しくは境遇を変えたいとも思っているのかもしれません。
心の中は真っ暗なので真白になれたらは心の中がもっと晴れ晴れとすれば良いのにと歌っています。
若しくは「汚れた私の身体がまっさらになればいいのに」とも捉えられます
この歌詞を見る限り頻繁に会えない間柄なんだろうと思いました。
彼女が彼を待つ姿勢を取っているため、やはり花魁のように思えてならないです
彼のことが気になって化粧をして心待ちをするけど気分は晴れない。いっそのこと彼のことを忘れるか、彼からの愛を感じて不安や現状から解放されたいとか、そんな女心を歌っているように感じました。
1番Bメロ
- 幼き日々は 貴方の傍
- 悠々 夢の果て
幼き日々?
幼き日々という箇所で迷いました。もしかしたら幼い頃にどこかで彼と出会って遊んでいたことがあるのかもしれませんが彼女の妄想の可能性もあります。
もし自分の境遇が違っていたなら幼き日々は彼の傍にいられたという見方も出来ますから。
悠々は色々意味がありますが遥かに遠いさまが意味合い的には近いでしょう。
幼き頃、あなたと過ごした幸せな日々は遥か遠い昔のこと。若しくはあなたと過ごしたかった幸せな日々は叶わない夢。どちらにせよ夢の果てだと歌っています。
1番サビ
- 今宵は誰がために 踊るのでしょう
- 霞む 私は朧月
- 手繰り寄せる 朱殷(しゅあん)の糸口よ
- 貴方に続けと願う
今宵(今夜)は誰のために踊るのでしょう。踊るは乱れるやもがき苦しむという比喩が含まれています。
誰のためが少し気になります。彼のためなのか、自分のためなのか、はたまた客人のためなのか。
霞む 私は朧月。部屋が薄暗いから自分自身が霞んで見えるのか、若しくは彼にとって私は満月のような輝く女性として見られていないのか。正直、両方な気がします。
手繰り寄せるは自分の元に引き寄せるという意味なので必死感が伝わります。
朱殷は血のような暗い朱色で、糸口は解決口。こちらを運命の赤い糸と表現しています。まるで彼との関係が終わらないように必死に赤い糸を見つけて彼と繋がりたいという想いがひしひしと伝わってきます。
2番Aメロ
- 華やかな 景観に
- 当てられ世人は 列なる
- 悲しみは幾匁(いくもんめ)
- 花は一匁(いちもんめ)
江戸時代は娯楽や行事が庶民にも広まった時代でもあり、職人や商人達の間で独自の文化が発達したこともあるので町人文化と呼ばれてました。
そんな日本文化や伝統が生まれた時代。華やかな景観とはそういった栄えた町とも考えられますが恐らく遊郭。景観という表現を使っているため自分のいる遊郭の外の町を俯瞰的に見ているので外のことや世間の人達にはあまり関心がないようにも感じます。
当てられは見せつけられです。魅了されるというよりは嫌々見せられるというデメリットを含みますが、世の人は常に徳の高い場所よりも色情に群がるのでしょうね。
匁(もんめ)は重さの単位。悲しみは幾度へも積み重なり、花は一貫の千分の一(3.75g)のように軽い。匁で韻を踏んでますね。
ただ悲しみと花を対比しているため、花(花魁)の価値というのは、それぐらい低くて軽いものなんだろうなと思いました。
2番サビ
- 知らぬ 吐息を浴び 軋(きし)む帳(とばり)
- 今は不香(ふきょう)花でありたい
- 顔の無い 人影に 絆(ほだ)されて
- 手折(たお)られてしまうのなら
この歌詞の凄いところは、エロい描写を美しい日本語を用いてオブラートに包んでいるところです。
もう、お見事!としか言いようがありません
軋むとは、固い物がこすれ合ってきいきいと音を立てるのこと。帳とは簡単に言うと寝床を囲う垂れ幕みたいな感じです。
なんか、激しそうだね・・・
不香の花は雪を表しており香りのしない花という意味だそうです。
華やかな軽々しい花よりも雪になりたいと思った訳。
それはあとで説明します
顔がないと表現したのは部屋が暗いから顔が見えないということなのでしょう。
絆されては、心や行動の自由が縛られる、身体の自由を束縛されるという意味です。彼は身体だけが目的なのかもしれない。それでも彼に心を奪われてしまったという意味にも取れます。
手折られるは花や枝などが、手で折り取られる。比喩的に、男に自分のものとされることです。要は、彼に身も心も奪われてしまったということです。
しかし歌詞は手折られてしまうのならと続きます。だから今だけは雪になりたいと思ったのでしょう。
雪は寒ければ積まれ、暖かければ溶けて消えます。恐らく、どうせ弄ばれるだけなのであればこのまま彼の温もりで雪のように溶けて消えてしまえば良いのにと思ったのでしょう。
人によっては彼との幸せな時間だからそんなことを思うのはおかしいと思うかもしれません。
しかし、女心と秋の空というように女性の心は繊細でころころと変化します。好きだけど自分のことをそんなに愛していないなら消えてやる!という感情が芽生えてもおかしくないと思います。
Cメロ
- 袖口の 手毬(てまり)は
- 転ぶ 暗がりの方へ
- ねぇ お願い ひとりにしないで
- 雲間に消える
袖口とは着物でいうと手を通す部分です。そこから手毬を取り出そうとした時に転がったのでしょう。
手毬が暗がりの方へ転ぶとありますが、手毬だけでなく自分の人生も暗がりの方へ転がっていくという意味も含まれていると思います。
朧月とは霧などに包まれて霞んで見える月という意味でしたが雲間に消えるとあるので雲に覆われて完全に消えたということでしょう。これが表現する意味とは何なのか。
- 愛しい愛しいよと 木霊した
- 日々は思うほどに遥か
- 冷めぬ心に霏霏(ひひ)と 六つの花
- 芽吹きとともに
- あの人のもとへ 帰ろう
帰れるはずもないのに・・・
木霊するとは反響するという意味です。反響するという言葉を選んでいるため、心の中ではどうしようもないくらい、愛しいという言葉が繰り返し響いているという感じでしょう。
彼にそんなに愛されてないと分かっているから何度も彼を忘れようと思ったことでしょう。しかし、彼を忘れようと思えば思うほど、彼のことが愛しくてたまらないのでしょう。苦しいですね。
冷めぬ心とは彼への愛が冷めることないという意味です。
霏霏(ひひ)とは雪や雨が絶え間なく降るさまです。永遠に続くという表現を降り続く雪と掛けてるのが美しいですね。
六つの花は6弁の花のように結晶するところから雪の異称と言われています。不香の花も雪という意味だったのでここでも雪と自分を重ねてますね。
芽吹きとは樹木の新芽が出はじめること。最初のAメロでも朔日(ついたち)と使われてましたがあの時はまだ願望で留めておりました。
今回は、決心をして新たなスタートを切ろうとしています。
あの人のもとへ帰ろうと続きますがこの部分は大サビの歌詞を見てから説明します。
大サビ
- 遊理(ゆうり)に咲く 雪月花(せつげつか)
- 霞む 私は朧月
- 手繰り寄せる 朱殷の糸口よ
- 貴方に続けと願う
遊理(ゆうり)とは一定の区画を仕切って遊女屋を集めてある地域です。つまり遊郭がある場所です。
雪月花は、雪・月・花という自然の美しい景物を指す語です。
ここでクライマックス!衝撃な意味が明らかになります
遊理(ゆうり)に咲く 雪月花(せつげつか)とは、まさに遊郭街の中にあるどこかの遊郭の中にいる花魁。その花魁は雪・月・花のような美しい見世物であるということ。
この歌詞では幾度となく自分を朧月,不香の花そして花(は一匁)と例えておりました。
そう自分は美しく人を魅了する人であってもただ相手の快楽を満たすためだけの慰み者なのです。
そして1番の歌詞と同様、愛する人と赤い糸で繋がっていたいと思います。ただその次に続く歌詞がハッピーではありません。
- 千切れぬ明日に
- 契(ちぎ)りなどない
- 薄月の色
千切れぬとは指先で細かく切ってばらばらにするのことが出来ないという意味です。普通に考えれば不可能だと分かってる表現ですがもしかしたら明日を壊すことが出来ない、無情にも続く未来を止めることも無くすことも出来ないと言ってるのでしょう。
つまり自分の望む未来にすることが出来ないということだと思います。
契(ちぎ)りは約束ですがこの場合、男女の縁が結ばれないという意味です。「千切り」と「契り」でここでも韻を踏んで言葉に重みを出してますね。
薄月とは薄雲にさえぎられて、ほのかに照る月です。これは彼女なりの希望に満ちた幸せな終わり方だったのでしょう。
私なりのエンディングを話します
彼女は過酷で辛い彼とは結ばれない現実よりも死して彼と永遠に結ばれる方を選んだんだと思います。
恐らくですが、彼もきっと彼女のことを愛していました。彼女が例え花魁でも彼は彼女を愛していました。きっと彼女もそのことに薄々気づいていたことでしょう。
けれどは月日は流れても、客人の中に彼が現れることがありませんでした。だから次第に自分は弄ばれたんだと思うようになりました。
しかし、彼女はあることに気づくのです。もう彼がこの世にいないことを。彼を忘れて新たなスタートを切ろうとも考えましたがダメでした。
悩んだ末に彼女が出した決断はあの人のもとへ 帰ろうです。
あの人との幸せな日々に戻ること、あの人の元へ行くこと、どちらも死を意味していることだと思います。
因みに朱殷(しゅあん)は血のように暗い朱色です。この色が「死」を暗示していたのかもしれませんね・・・
最後に・・・
如何でしたでしょうか。あくまでも私なりの解釈なので信じないでください。
朧月の歌は歌詞だけでなく曲調もとても素晴らしいです。特にサビにコブシを入れてるところは情感がありますね。
最後までお読み頂きありがとうございました。